旭川地方裁判所 昭和42年(ワ)605号 判決 1969年4月23日
原告
菅原卯三男
被告
小林鶴蔵
ほか一名
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一、申立
一、原告
被告らは原告に対し、各自、金六四二万三七八二円および内金五七八万一六〇円に対する昭和四二年一一月二七日から完済までの年五分の金員を支払え。
訴訟費用は被告らの負担とする。
との判決ならびに仮執行の宣言。
二、被告
主文同旨の判決。
第二、請求原因
一、原告は、昭和四一年九月二七日午前七時五〇分頃、天塩郡豊富町字開源地内の一級国道四〇号線上において、被告龍蔵が運転し稚内市方面から豊富町字豊富方面に向け進行してきた旭四ふ八九八〇号普通貨物自動車に衝突した。
二、右衝突により、原告は、顔面挫創、頭部打撲症、腹部打撲症、右大腿骨々折、右下腿骨両骨開放性骨折、右膝前部挫創、左下腿骨両骨々折、右肩関節脱臼、胸部打撲症(左側肋骨々折)の傷害を受け、左足は大腿切断等手術をして義足を用い、右側の膝、足、肩の各関節が拘縮し、現在も入院加療中である。
三、被告鶴蔵は、自己のために本件自動車を運行の用に供する者であるから、自動車損害賠償保障法三条により、本件事故によつて生じた原告の損害を賠償すべき義務がある。
四、被告龍蔵は、過失により原告の身体を害した者であるから、民法七〇九条により、本件事故によつて生じた損害を賠償すべき義務がある。
被告龍蔵の過失は次のとおりである。
本件事故のとき原告が前記国道を歩いて横断していたのに、被告龍蔵は時速約五〇キロメートルで進行し、原告の約一〇メートル手前で危険を感じ、右にハンドルを切り停止措置を施したが、間に合わず、本件自動車の左側前照燈付近に原告を衝突させたものであつて、被告龍蔵には、右のような場合、自動車運転者として、前方を注視し、進路上を横断している歩行者があるときは、速度をゆるめ、或は一時停止するなど臨機適切な措置を講じて危険の発生を防止すべき義務があるのに、これを怠つた過失があつた。
五、本件事故により原告は以下の損害を受けた。
(一) 得べかりし収入のそう失 三七八万一六〇円
原告は、六三才(明治三六年九月一日生)で、毎年六月から一一月まで六ケ月間は土木建築業者の人夫をし、毎年一二月から翌年五月まで六ケ月間は野鍛冶、板金の職に就き、以上を通じ一ケ月すくなくとも五万円の収入を得ていた。平均余命は七六才まで(第一〇回生命表)であり、昭和四八年一一月二六日まで右稼働が可能であつたところ、本件事故のため稼働不能となつた。そのため本件事故がなければ得ることのできた次の合計三七八万一六〇円の収入を失つた。
(イ) 昭和四一年九月二七日から昭和四二年一一月二六日まで月収五万円の一四ケ月分、七〇万円。
(ロ) 昭和四二年一一月二七日から昭和四八年一一月二六日まで年収六〇万円の六ケ年分につき、ホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除した現価(六〇万円に係数五・一三三六を乗じたもの)、三〇八万一六〇円
(二) 慰謝料 二〇〇万円
長期入院、左足切断ならびに右足不自由による終生の不具、稼働不能により原告は甚だしい肉体的精神的苦痛を受けた。
(三) 入院加療費 一二六万七二九二円
内訳 (イ) 豊富町国民健康保険病院 一〇二万九六二二円
昭和四一年九月二七日入院、昭和四三年八月二九日退院。
(ロ) 稚内市立稚内病院 四万三〇九〇円
昭和四三年八月二九日入院、同年九月二三日退院。
(ハ) 国立登別病院 一九万四、五八〇円
昭和四三年九月二四日入院、同日から同年一二月三一日までの分。
(四) 義肢代金 三万五〇〇円
(五) 入院中の交通費 八万三六三〇円
内訳 (イ) 貨物運送費 三万九八〇〇円
(ロ) ハイヤー代金 三万円
(ハ) 汽車賃 一万三八三〇円
(六) 付添費 七七万二二〇〇円
昭和四一年九月二七日から昭和四三年八月二九日まで豊富町国民健康保険病院入院中、付添人を必要とし、原告の家族が付添つたが、一日一一〇〇円の割合による右七〇二日間の付添費。
(七) 弁護費用 三〇万円
原告は、訴訟の経験がなく歩行も不能であるため、本訴につき弁護士大塚重親、同大塚守穂に訴訟代理を委任したが、右両弁護士に対し手数料三〇万円の支払義務を生じた。
六、原告は、昭和四三年一二月五日、自動車損害賠償保障法で定める自動車損害賠償責任保険の保険者日新火災海上保険株式会社から保険金として、医療費五〇万円、後遺症補償費一三一万円、合計一八一万円の支払を受けた。
七、右保険金の支払により、前記五の(三)、(四)、(五)の合計一三八万一四二二円、(六)の内四二万八五七八円の損害がてん補された。
八、よつて、原告は被告らに対し、前記五の(一)、(二)の合計五七八万一六〇円と、(六)の内損害のてん補されていない三四万三六二二円、(七)の合計六四万三六二二円との総計六四二万三七八二円および内右五七八万一六〇円に対する弁済期後である昭和四二年一一月二七日から完済までの民法所定の年五分の割合による遅延損害金の連帯支払を求める。
第三、請求原因に対する答弁
一、請求原因一、六の事実は認める。同二、五の事実は不知。同三、四の事実は否認する。
二、被告鶴蔵は、本件自動車と何らの関係がない。
三、本件事故の発生は原告に基因する。
すなわち、本件事故現場付近において、一級国道四〇号線は直線であり、見とおしも良く、道路の両側に人家はない。原告は、事故直前に豊富町字豊富に向つて国道の左側部分の左端に数人の者とともに佇立していたが、中央線をこえた右側部分で本件自動車と衝突している。右衝突は、原告が何故に国道を横断しようとしたのか不明であるが、原告がことさらに飛出したことに基因し、このような行動に対しては如何なる注意をしても衝突は到底回避できなかつた。
第四、証拠〔略〕
理由
一、請求原因一の事実は当事者間に争いがなく、同二の事実は〔証拠略〕を総合すると、これを認めることができる。
二、そこで、まず、被告鶴蔵について、自動車損害賠償保障法三条による責任の有無を判断する。
〔証拠略〕を総合すると(たゞし、〔証拠略〕中、後記採用しない部分を除く。)、次のとおり認められる。
本件自動車は、被告鶴蔵(本件事故当時六三才位)の長男訴外小林幸蔵(同三二才位)が出捐し、昭和四一年五月頃、旭川日産モーター株式会社から、分割払手数料とも代金六三万四六六〇円、内金五一万円同年六月以降二〇ケ月月賦所有権留保約款付で買受け、使用者を稚内市大黒町二丁目小林幸蔵、使用の本拠の位置使用者の住所と同じとして届出ている一トン積トラックである。そして、夜間は、稚内市大黒町二丁目一〇番地の被告鶴蔵の自宅にある同被告所有倉庫に幸蔵所有名義の一・七五トン積トラック一台とともに格納されている。被告鶴蔵は稚内市で、戦後鮮魚小売商をしていたが、一〇年余前から<小>小林の名称により鮮魚仲買人、同卸売商をし、前記自宅に販売店舗を構えてはいないが、その営業所としている。幸蔵は、いわゆる跡取息子として、家族とも被告鶴蔵夫婦と同居し、家業である同被告の鮮魚卸売業を手伝つていたが、同被告が老令で健康も勝れず卸売の商売も思わしくないので、次第に家業のにない手となり、昭和四〇年一〇月、同被告の多少の援助も受けて天塩郡幌延町二条北一丁目に鮮魚小売店を開き、以来、同所で<小>小林鮮魚店の名称により鮮魚小売商をしている。被告鶴蔵は毎朝仲買人として稚内市内、稚内中央魚菜卸売市場で鮮魚類を仕入れ、これを同市内、開運市場に運搬し同所でこれを卸売しているのであるが、右運搬は幸蔵が前記一・七五トン積トラックを運転して行なつている。被告鶴蔵の卸売は俗にガンガン屋と称する行商人に一部卸売をするほか、その殆んどを前記幌延の店舗に卸売し、日々被告鶴蔵、幸蔵間で現金で卸売代金の決済をしている。幸蔵は被告鶴蔵のほかからも一部仕入れをし、幌延の店舗の利益はすべて幸蔵が取得している。幌延の店舗開設のとき幸蔵は新たに自己名義の銀行当座預金口座も開いているが、納税の関係では便宜従前どおり被告鶴蔵の名でまとめて同被告、幸蔵両者の事業税、所得税を納付している。被告鶴蔵、幸蔵の営業に関する用務の多くは幸蔵がしており、幌延の店舗には幸蔵、被告龍蔵は半々程度に顔を出し、被告龍蔵の妻も毎日あるいは二、三日おきにこれを手伝つている。被告龍蔵(本件事故当時二四才)は被告鶴蔵の三男で、同被告のもとに所帯は別であるが夫婦で同居し、かつてはガンガン屋として鮮魚行商をしていたが、幌延の店舗の開店以来、毎朝本件自動車を運転して開運市場から幌延の店舗まで鮮魚類を運搬し、当日店番をする者を運び、終日幌延の店舗でその妻とともに店員として働き、閉店後本件自動車を運転して稚内まで帰つていた。そして被告龍蔵のみが幸蔵から月三万円の給料を受けていた。本件自動車は主として右用途に供していたが、まれに被告龍蔵が運転し被告鶴蔵の卸売鮮魚を前記開運市場から稚内駅や天塩郡天塩町方面に運搬していた。なお、本件自動車の税金その他の諸掛かりは幸蔵が支出し、その給油は幌延町で幸蔵がこれをしていた。
右のとおり認められ、〔証拠略〕中、これに反する部分は採用できず、ほかにこれを左右する証拠はない。
以上認定事実によれば、本件事故当時、被告鶴蔵、幸蔵両名は、親子として、いわば家業である鮮魚仲買、卸売、小売業を協力して遂行していたが、事業税所得税の納税者名義の如何にかかわらず、右家業全般にわたる実権の大半は、すでに家長である被告鶴蔵より長男である幸蔵に移つており、しかも前記幌延の店舗に関する限り小売販売は幸蔵が名実ともに主宰していたのであり、本件自動車はその所有者である幸蔵が平素被告龍蔵に運転させ専ら右小売販売業の用に供していたものと認められるから、本件自動車の運行を支配し、かつ、その運行による利益が帰属しているのは幸蔵であり、被告鶴蔵でないと解するのが相当である。
したがつて、被告鶴蔵には自動車損害賠償保障法三条による責任はないから、その余の判断をするまでもなく同被告に対する請求は理由がない。
三、つぎに、被告龍蔵について、民法七〇九条による責任の有無を判断する。
〔証拠略〕を総合すると(たゞし、甲第七号証、甲第一二号証、上記各証言中、後記採用しない部分を除く。)、次のとおり認められる。
一級国道四〇号線は、本件事故現場付近において、ほゞ南北に走る直線のアスファルト舗装の幅員七・三メートル、その両側の路肩幅各〇・八五メートルの道路で、本件事故現場の北約一キロメートルの地点にある坂の上から南へ約二、三百メートルは下り坂となり、ついで約七、八百メートルの間勾配はなく、その東側は丘陵が続き、西側は山林で、当時は晴天であり、右坂の上から本件事故現場までの見通しは極めて良かつた。原告は右国道の工事の路肩芝張り作業に従事する人夫で、本件事故現場付近には原告ら十二、三名の道路工事人夫が国道の西側の路肩上数十メートルの間におよそ一〇メートル以上の間隔をおいて一人、二人、あるいは三、四人が集つて散在していた。原告は一服をする他三名の土工と集つて国道に背を向けて路肩に並んですわり話をしていた。本件事故直前に人夫らの現場監督訴外岡田鉦生が自動車を運転して北進して来て、本件衝突地点から数メートル北方の道路西端に停車したほか、本件自動車以外に車両の交通はなかつた。本件自動車は車体の幅一・五七五メートルで荷台に鮮魚数百キログラムを積んでいた。被告龍蔵は、前記坂の上から時速約六〇キロメートルで、道路の中央から左側部分内の中央寄りを南進してきた。そして、本件衝突地点の手前数百メートルから、すでに原告ら人夫を認めたが、これらの者が路肩から国道上に出てくるような気配も全もなく何ら危険を感じなかつたので、その数十メートル手前で時速約五〇キロメートルに減速し、道路の中央に更に寄つたのみで、特に警音器も吹鳴しないで進行した。ところが、原告は他三人の人夫との話を途中で止めて立上り、本件自動車が約一〇メートルの地点に迫つているのに、突然、道路舗装部分内に入り北の方へ斜めに歩行し出したので、これを認めた被告龍蔵は右にハンドルを切りブレーキをかけたが及ばず、本件自動車の左前照燈、前方フエンダー左端付近と、両手を挙げ本件自動車の方を向いていた原告とが衝突し、原告は身体を折りたたむようにしてボンネットにのり、約二〇メートル進行して停車した地点付近で路上に転落した。右衝突の際、本件自動車の右側前輪の位置は道路中央付近であつた。
右のとおり認められ、〔証拠略〕中、これに反する部分は採用できず、ほかにこれを左右する証拠はない。
以上認定事実によれば、本件自動車は、本件事故現場付近の道路の状態からして特に異常な高速度で進行していたものではなかつたと認められるところ、原告は、見通しが極めて良い場所であるのに本件自動車に気付かず、その直前を横断して道路西端に停車した訴外岡田鉦生運転の自動車のところまで行こうとしたのか、あるいは本件自動車を停車させようとして本件自動車が約一〇メートルの至近距離に迫つているのに突然に本件自動車の進路上に出たことが明らかである。ところで、前記認定のように道路工事人夫が路肩上にいる場合、その傍らを通過する自動車運転手は、人夫のしている作業の必要から自車の進路上に出てくることが予測されるような特別の事情のない限り、人夫が、あえて危険をおかしてまでも、突然に、自車の直前を横断し、あるいは自車を停止させようとして進路上に出てくることまで予想して、それによつて生ずる損害の発生を未然に防止するため徐行、警音器吹鳴、その他避難措置をとるべき業務上の注意義務はないものと解するのが相当であるから、本件の場合、被告龍蔵には原告主張のような過失はなかつたというべきである。
したがつて、被告龍蔵には民法七〇九条による責任はないから、その余の判断をするまでもなく同被告に対する請求も理由がない。
四、よつて、原告の本訴請求は棄却すべく、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 平田孝 田中康久 橘勝治)